
私は25年ほど神戸の三宮で働いていました。1995年1月17日、午前5時46分。地鳴りのような音とともに、世界が一瞬で変わりました。阪神・淡路大震災です。
その瞬間、私の心にあったものは、恐怖でも絶望でもなく、ただ「生きること」でした。すべてが瓦礫の中に沈み、日常が崩壊しても、人は生きようとする。その原始的な衝動だけが、私を支えていたように思います。
私の働いていたビルは1階部分が押しつぶされ、三宮での業務は不可能になりました。しばらくは別の地で働きながら、壊れた都市の復興を見守るしかありませんでした。しかし年月とともに街は少しずつ息を吹き返し、やがて新しいビルが建ち、再び同じ場所で仕事ができるようになりました。
そして2001年7月7日。地下鉄の新しい駅、三宮・花時計前駅が開業し、その地下広場に、一体の彫刻がひっそりと設置されたのです。それが中村晋也の《MISERERE I》(1995年作)でした。ラテン語で「憐れみたまえ」という意味をもつその作品は、震災の年に制作されたものでした。

初めてその前に立ったとき、私は言葉を失いました。地下の広場の空間の中に、その像は沈黙して立っていました。目を閉じ、両腕をわずかに差し出す姿。そこには悲しみも、怒りもなく、ただ静かな受容がありました。
震災で心に空いた穴が、その沈黙に吸い込まれるように感じられました。私は思わず立ち止まり、作品が放つ目に見えない「気配」に包まれました。それは癒しであり、安堵であり、言葉ではない「祈りの空気」でした。
私は高校と大学をキリスト教の学校で過ごしました。礼拝堂の匂い、ステンドグラスから差し込む光、賛美歌の響き――そのすべてが懐かしく蘇ってきました。
《MISERERE I》の前に立つと、あの頃のように純粋な心で神に祈っていた自分が蘇るのです。祈るとは、何かを願うことではなく、ただ「いのち」と向き合うことなのだと、この作品は思い出させてくれました。
中村晋也は、次のように語っています。
「1980年代後半に“祈りのシリーズ”を制作した時から、生をいとおしみ、大いなるものへ祈る心は常に私の中にありました。それがいつしか、日々呼吸するような自然さで、私をこのテーマへと導いてくれたように思います。」
彼の彫刻における「祈り」は、宗教的教義を超えた、人間存在そのものへの賛歌です。鋭い形態の中に宿る温もり、沈黙の中に息づく光。その対立する要素が、観る者の心の奥深くを静かに震わせます。
“MISERERE”の言葉の源は、旧約聖書・詩編第50篇(あるいは第51篇)にあります。
・・・・・・・神よ、清い心を私のうちに創り、
正しい霊を新たに私の中に与えてください。
私をあなたの御前から追い出さず、
あなたの聖なる霊を私から取り去らないでください。
あなたの救いの喜びを再び私に返し、
自由の霊によって私を支えてください。・・・・・・
この詩は、罪の告白と赦しの祈りであり、人間がどれほど弱くとも、神の慈悲の中で再び立ち上がることができるという希望の詩でもあります。中村晋也がこの詩を胸に制作した《MISERERE I》は、まさに「再生の象徴」として、震災後の街に寄り添っていたのだと、今にして思います。
中村はさらに述べています。
「はるかな日まで、Miserere mei は私の内なる命の祈りとして、制作と分かちがたくあるように思われます。」
この「内なる命の祈り」という言葉には、彼の創作の核心が表れています。祈りとは、外に向かうものではなく、自らの内に深く沈潜し、いのちそのものと対話する行為。それは「生きている」という現実の根源に触れる営みであり、造形行為と一体化した祈りの循環なのです。
震災を経た私にとって、この言葉は非常に切実に響きます。瓦礫の中で見た光景、失われた人々の記憶、それでもなお続いていく日常。その中で私たちは「なぜ生きるのか」と問うよりも、「どう生きるか」を模索し続けてきました。その問いの果てにあるのが、静かな祈り――つまり、存在をそのまま肯定する行為だったのです。
《MISERERE I》の前に立つと、私は再びその感覚に包まれます。それは希望というよりも、もっと静かで、確かな「受容」の感覚です。苦しみも喪失も、祈りの中では排除されず、ひとつの命の形として抱きしめられていく。中村の作品は、そのような「存在の肯定」を、形を通して語りかけてきます。
祈りとは、願望や救済を求めるものではなく、「いのちとともに在る」こと。沈黙の中で、痛みも悲しみもそのまま抱えながら、それでもなお息づいていることへの感謝。中村の祈りは、震災を経験した私たちの心の深層に届き、そこに静かに寄り添い続けています。
《MISERERE I》の前に立つたび、私は思います。祈るとは、生きることそのものなのだと。そして彫刻とは、形を通じて祈りを可視化する行為――人間の存在そのものを、石や青銅の沈黙の中に刻みつける営みなのだと。
この作品が私に与えたものは、単なる芸術的感動ではありません。それは「生きていてよい」という、静かな確信でした。この確信こそが、震災を乗り越えた私の心の礎であり、今もなお私の中で、絶えず呼吸している祈りの形なのです。
そして最後に、私はこの《MISERERE I》が、私の住むこの神戸の地にあることを心から感謝します。あの日失われたものの上に、いま祈りの彫刻が立っている。それはこの街が再び立ち上がり、祈りとともに生きることを選んだ証なのです。