美とは―対話すること

今回はまず、「美とは何であろうか」という根源的な問いから考え始めたいと思います。日ごろ多くの彫刻作品に向き合っていると、私はしばしば美しさとは何か、という問題に立ち返らざるを得ません。

鑑賞した瞬間に「なんて美しいのだろう」と直感的に感動を覚える作品もあれば、一見するとグロテスクで、私自身の主観ではその造形に戸惑い、どこに美が潜んでいるのか理解をためらう作品にも出会います。このような経験は、私にとって美とは単純な外見的調和ではなく、より深い次元の現象であることを示唆しています。


そこで改めて、私自身の言葉で「美とは何か」を考察してみたいと思います。そんな折に出会った千住博の『芸術とは何か』は、私の思索を大きく整理してくれる重要な示唆を与えてくれました。以下、その要点を紹介します。

千住博によれば、
●自然は人間の生の基盤であり、感性や想像力の源泉である。
●人間は本来、他者や自然との関係性の中で生きる存在であり、その内側からイマジネーションが湧き上がる。
●心の奥底から生じたイマジネーションを、他者へ伝達しようとする行為こそが芸術である。
●この伝達が成立し、人間が「生きている」と強く実感する瞬間に、美が生まれる。
●ゆえに、美・芸術・人間は三位一体であり、自然とのコミュニケーションのなかで循環的に深まり続ける。


要するに、彫刻家が自らの内部に湧く想像力を「誰かに伝えたい」と切実に願う、その行為の軌跡が芸術であり、その想いが鑑賞者に届いた瞬間に「美」は立ち上がる。美とは作品に“宿るもの”ではなく、作り手と鑑賞者のあいだに生じる「共有された生の実感」である。千住の主張はそのように理解できます。


私はこの考え方に深く共感します。なぜなら、私自身が彫刻作品に出会うとき、つねにそのプロセスを体験しているからです。まず最初の出会いの瞬間、作品が放つ空気のエネルギーに圧倒され、私は言葉を失います。そのエネルギーを吸い込みながら、作品は静かに、しかし確かに私に問いかけてきます。「お前はどのように生きているのか」「希望とは何か」「人間の力強さとはどこから来るのか」と。私はその問いかけに促され、いつの間にか作品と内面的な対話を始めています。


この時に生まれる“心の動き”こそ、千住が述べる「美」の実感に他なりません。美とは、作品を通して自分自身の存在が揺さぶられ、また肯定される瞬間に立ち現れる現象なのです。外的な造形の美醜を超え、作品が作り手のイマジネーションと鑑賞者の内面をつなぐとき、そこで生命の実感が深化し、その瞬間に美が誕生します。


私にとって、この千住の理論は、日ごろの鑑賞体験と驚くほど符合します。美とは「作品そのもの」にあるのではなく、「作品との関係」の中に生まれるものだと言えます。そしてこの関係性そのものが、芸術の本質を形成しているのではないかと考えます。