山口能成

私が彫刻を愛する理由 私が彫刻に惹かれるのは、作品が圧倒的な「存在」として私の前に立ち現れるからである。 絵画のように平面の向こうに世界が広がるのではなく、 彫刻はその場に、確かに「いる」。 私はその存在感の前に、いつも息を呑み、ただひれ伏すしかない。 その瞬間、私の中に問いが生まれる。 ――なぜこの人は、このような形をつくったのか。 ――この形は、何を語りかけているのか。 それは鑑賞というより、作品と私との対話の始まりである。 沈黙の中にある形の声を「聴く」ことで、 私は創造の背後にある思索や祈りのようなものに触れようとする。 橋本平八の作品《石に就いて》を前にしたとき、 私はまさにその「聴く芸術」に出会った。 橋本は、石という素材の奥に眠る時間の呼吸を感じ取り、 自然の声に耳を傾けながら、最小限の手を加えた。 その創造は、意志ではなく、自然とともに生きる無意識の共鳴であった。 私はその静かな力に圧倒されながら、 彫刻が単なる形ではなく、「生命の記憶」であることを悟った。 私にとって彫刻は、人間と自然、創造と存在の境界を越える場所である。 作品の前に立つとき、私は一人の観客ではなく、 その形を通して芸術家と、そして自然と、 時空を超えた対話をしているように感じる。 そこでは、言葉を超えた「聴く体験」が始まり、 私の想像力は限りなく膨らみ、心の深部に静かな風が吹く。 彫刻を撮るという行為もまた、その「聴くこと」の延長である。 写真のレンズを通して形に向き合うとき、 私は彫刻家の思考と、素材の呼吸と、 時間の流れに寄り添うようにして一瞬を切り取る。 その一枚一枚の中に、 芸術家の魂のひびきと、私自身の感応が重なり合う。 こうして私は、彫刻写真を通じて、 芸術がもつ「沈黙の力」を伝えたいと思うようになった。 彫刻家が見た自然、自然が語る時間、 そしてそれを受け止める人間の心―― その三者が共に呼吸する場所として、 私はこのHPをつくった。 ここでは、私が撮った彫刻写真とともに、 それぞれの作品が語りかけてくる声を、 芸術論という形で綴っていきたい。 私が橋本平八から学んだ「聴く」という態度をもって、 彫刻の沈黙の中に流れる生命の時間を、 皆さんとともに感じ取っていければと思う。