
《ダミアン神父》の荘厳な祈りと向き合った後、私の目を釘付けにしたのが、そのすぐ近くに置かれていた《原の城》という作品だった。
初めてその像を見たとき、私は息をのんだ。それは静止しているのに、内側では何かが燃え続けているような、沈黙の中の咆哮(ほうこう)を感じさせる像だった。
刀もない。ただ、口をわずかに開き、虚空を見上げる男の姿がある。しかしその眼差しの奥には、言葉では届かないほどの「戦い」が宿っていた。それは外敵との闘いではなく、自らの運命と、人間としての尊厳を賭けた「内なる戦い」であった。
私は思った。これは、信仰を持つ者の祈りではなく、信仰を持たぬ者が、それでもなお“生きねばならぬ”と叫ぶ祈りの形ではないか、と。《原の城》は、神に救いを求める像ではなく、神なき世界でなお人間として立ち上がろうとする者の姿だ。
船越保武の作品には、明確な宗教性を超えた「人間存在の聖性」がある。それは、《ダミアン神父》のように信仰の光に包まれた祈りであれ、《原の城》のように闇の中で歯を食いしばる祈りであれ、どちらも同じ“魂の形”をしている。
私はこの像を前にして、思わず後ずさりした。その口の開き、見上げる顔の角度――どれもが、限界まで追い詰められた人間の「存在の証」のようだった。それはもはや物語の中の侍ではなく、人間そのものの姿だった。
《原の城》には、敗北と孤独、絶望と抵抗が同居している。それでいて、なぜか静かな気高さがある。それは、船越が「人間の尊厳とは、勝つことでも負けぬことでもなく、倒れながらも立とうとする意志そのものである」と信じていたからだろう。
私は《ダミアン神父》を「祈りの像」と呼ぶなら、《原の城》は「抵抗の祈り」と呼びたい。神にすがるのではなく、人間として立つ。その孤独な立ち姿に、私は深い共感と痛みを覚えた。
そして、今年の夏。私は二十年以上の時を経て、再び《原の城》に出会った。場所は旭川市の中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館。もともとは中原悌二郎の作品を観に行ったのだが、私に最も強く語りかけてきたのは、やはりこの《原の城》だった。
「――二十年以上たって、今のあなたは、私をどう感じているのか。」
像が、そう問いかけてくるようだった。かつて若かった私が、衝撃と恐れをもって見上げたその顔は、今ではどこか穏やかで、哀しみと静けさを湛えていた。それは、私自身の年月とともに変わった“感じ方”の反映でもあったのだろう。
あの頃はただ圧倒され、言葉を失った。しかし今の私は、その沈黙の奥にある「赦し」に気づく。苦しみや孤独の底にさえ、なお微かな光がある――そのことを、《原の城》は二十年の時を経て私に教えてくれたのだ。
信仰を持たない私にとって、この像は今もなお「最も近しい祈り」の形である。それは、祈りを知らぬ者が、それでも「人間であろうとする」努力の証。その姿に、私は今も変わらぬ敬意と、静かな感動を覚える。