佐藤忠良が子どもを彫り続けた理由

佐藤の彫刻は、大人の女性像と子どもを主題とした作品が特に多い。私は、この子どもを扱った作品群の意味を知りたいと思うようになった。

子どもの像の前に立つと、単に“美しい”という感想では終わらず、子どもが本来もつ普遍的なもの、純粋さや率直さが静かに立ち上がり、その気配が私自身の内側に眠っていた感覚を呼び覚ます。あたかも作品が鑑賞者に向かって「あなたの中の素直さを思い出しなさい」と働きかけているように感じられ、それこそがこれらの作品の価値であると私は考える。


佐藤忠良「フードの竜」は、孫の竜をモデルとした作品でありながら、個人的な情感を前面に出さず、子どもという存在がもつ普遍性を引き出した立像である。


フードは深くかぶられず、軽く肩に落ちるように整えられ、造形の主役はあくまで“まっすぐに立つ子どもの身体”に置かれている。佐藤は一貫して子どもを主題としてきたが、その理由は、子どもの身体が成長の途上にあり、余計な演出の前に「人間の基本形」がもっとも素直に現れると考えていたからである。


彼にとって子ども像は、技巧を見せる場ではなく、生命そのものの清潔さと律義さを確かめるための場であった。
「フードの竜」における竜は、特定の人物としての個性を細部で語るのではなく、子どもが本来もつ緊張感と静かな芯をそのまま形にしている。正面性の強い構成と簡潔にまとめられた量感は、鑑賞者に「そこでひとりの主体として立っている」という印象を与える。過剰な感情表現がないにもかかわらず(あるいはそれゆえに)、

この像は鑑賞者に「こちらを見つめ返すような静かな気配」を漂わせる。この感覚は、視線が合うという直接的な意味ではなく、像が一方的に“見られる”存在にとどまらず、沈黙のうちに自らの主体性を持ち、鑑賞者と対等に立っているように感じられることを意味する。

佐藤の子ども像には、人間としての自尊心とも言うべき“沈黙の意思”が宿っており、その存在感が鑑賞者に自己の内面を静かに戻らせる。


鑑賞者は作品に対して何かを読み取るだけではなく、像の沈黙の佇まいの前で、自身の記憶や感情を呼び起こされることになる。過剰に語らない造形だからこそ、そこには鑑賞者の幼少期の感覚、人間への信頼、未来への小さな希望といった個人的経験が自然と重ねられる。こうした「余白を通じたコミュニケーション」こそ、佐藤忠良の子ども像が特別な意味を持つ理由であり、作品が普遍性を獲得する根拠でもある。


私は、「フードの竜」が示す最大の意義は、子どもという存在を通じて、人間が本来持っているまっすぐさと未来への意志を静かに提示している点にあると考える。像は語らないが、その沈黙のうちに「あなたはどう生きていますか」と鑑賞者に問いかける。そこに、佐藤忠良が彫刻という行為を通して人間を信じ続けた姿勢が、最も率直な形で表れている。