
序論
オーギュスト・ロダンは、芸術の唯一の原則は「見る」ことであると語った。しかしロダンにとって「見る」とは、形を外側から眺めることではない。それは、対象の内部に潜む 方向(面)・重さ(量)・時間(動勢) という三つの力学を読み取り、形が「なぜその形になるのか」という生命の必然性を理解する行為である。
ロダンは、表面的な美ではなく、形の背後にある「原因」を読み取ることを求めた。本稿では、その理論的枠組みを整理した後、「ジャン・ド・フェンヌ」と「ジャン・デール」を素材に、ロダンの視点がどのように像を読み解くかを示す。さらに、一般鑑賞者がこの「見る」を実践できるよう、鑑賞時に自らへ投げかける質問(セルフ・ファシリテーション)を提示する。
また、ロダンにとって形は偶然の結果ではない。恐怖があるから視線は逸れ、覚悟があるから重心は沈み、怒りがあるから拳に量が凝縮する。
生命の必然性とは、「内的な感情と力が、外部の形態を必然的に生み出した状態」を指す。
ロダンの「見る」とは、形そのものではなく、形を生み出した内的原因(生命)を理解する行為なのである。

ジャン・ド・フェンヌの裸体習作(神戸市立博物館)
1.なぜロダンの彫刻は「見方」が必要なのか
オーギュスト・ロダンの彫刻は、ただ形を眺めるだけでは、その本質がつかみにくい作品である。それは、ロダンの彫刻が「きれいな形」や「分かりやすい物語」を示すために作られていないからだ。
ロダンが彫ろうとしたのは、人間の身体を通して現れる精神の状態である。そのため、鑑賞者が受け身のまま立っていると、「よく分からない像」に見えてしまう。
ロダンの彫刻を見るためには、鑑賞者自身が問いを持ちながら見る必要がある。問いは、正解を出すためのものではない。像と向き合い、時間を過ごすための入口である。
2.ロダンの「三つの視点」
ロダンは、彫刻を見るときに次の三つの点を重視した。
●面:身体や精神が、どの方向を向いているか
●量:身体や心の重さが、どこに集まっているか
●時間(動勢):形の中に、どんな時間が流れているか
この三つは別々のものではない。順に見ていくことで、彫刻の中にある生命が少しずつ立ち上がってくる。
3.「面」で見る ― まず全体の向きを感じる
最初に見るべきなのは細部ではない。像全体が、どちらを向いているかである。
次の問いを自分に投げかけてみる。
●この像は、どの方向へ向かおうとしているか
●どこが開き、どこが閉じているか
●前へ進もうとする気配と、引き戻される気配は同時にないか
ここでは、正確に説明しようとしなくてよい。「こちらへ向かってくる」「内側に閉じている」といった、素直な感覚で十分である。
この段階は、彫刻と自分との関係を確かめる時間である。
4.「量」で見る ― 重さと心のありかを感じ取る
次に、像の重さに注目する。
●どの部分に重さが沈んでいるか
●身体のどこに力がたまっているか
●心の重心は、どこにありそうか
ロダンの彫刻では、重さは単なる体重ではない。心の重さでもある。さらに、目に見えない部分を想像してみる。
●見えていない骨や筋肉は、どう働いていそうか
●この人物は、どんな気持ちを抱えているか
●穏やかなのか、怒りを内にためているのか
ここで、像は単なる形ではなく、性格をもった存在として感じられ始める。
5.「時間」で見る ― 動きではなく、流れを読む
最後に、形の中にある時間を考える。
●この姿勢の前には、どんな動きがあったか
●次の瞬間、動こうとするのか、それとも動かないのか
●なぜ、この形で止まっているのか
重要なのは、実際に動くかどうかではない。動こうとする気配や、動かずに耐える時間を感じ取ることである。
ロダンの彫刻が生きて見えるのは、一つの瞬間の中に、過去と未来が同時に含まれているからだ。
6.鑑賞は「行き来する」ことで深まる
鑑賞は一方向では進まない。
●面を見る
●量を見る
●時間を見る
そして、もう一度、全体に戻る。
この観察 → 想像 → 再観察という行き来によって、彫刻は静止した物体ではなく、内的な時間を生きる存在として立ち上がる。
7.結論 ― ロダンの「見る」とは何か
ロダンの「見る」とは、形を説明することではない。
その形が生まれた必然性を感じ取ることである。
たとえば、「ジャン・ド・フィエンヌ」では、前へ進もうとする意志と、引き戻される迷いが同時に存在する。「ジャン・デール」では、怒りを外に出さず、内に封じたまま耐える精神が造形されている。
ロダンの方法は、鑑賞を「物を見る行為」から「生命の状態を理解しようとする行為」へと変える。
鑑賞者が問いを持ち、面・量・時間の三つの視点で像と向き合うとき、彫刻は沈黙した物体ではなく、人間の内側の時間を刻む存在として、静かに語り始めるのである。

二像の比較にみるロダン造形の本質観点

つまり、
● フェンヌ は「揺れる精神」の像、
● ジャン・デール は 「耐える精神」の像である。
これがロダン彫刻の心理の複層性である。