ロダンはいかにして「彫刻の革命家」となったのか――周縁性(マージナルマン)と19世紀社会変動の交点として

序章 問題意識の形成 ― 一体の裸体像との出会い

2025年夏、私は北海道の旭川彫刻美術館を訪れた。主な目的は中原悌二郎の作品を鑑賞することであった。この美術館は館内撮影が許可されており、中原作品の造形を記録するため、私は一枚一枚丁寧にシャッターを切っていた。しかしその最中、展示室の隅に置かれた見覚えのない裸体の人物像がふと目に留まった。


それは、重量挙げの選手を思わせるほど逞しい肉体の像であった。両腕は力を落とすように垂れ下がっているが、その筋肉には強い緊張が宿り、口元はわずかに結ばれ、視線はまっすぐ前を射抜いていた。単なる肉体の迫力ではなく、内面の葛藤が身体の表面にまで滲み出ているようで、私は思わず立ち止まった。「この作品は何なのか。」直感的な疑問を抱き、一枚だけ写真を撮影した。


後日調べたところ、それはロダンの「シャン・デールの裸体習作」であり、「カレーの市民」の一人ジャン・デールの初期像であることが分かった。私はこれまで「カレーの市民」を何度も鑑賞してきたが、その裸体習作の存在には気づかなかった。この驚きは、「なぜロダンは完成形ではなく、裸体段階でこれほど強烈な像をつくったのか」という問いへと結びつき、ひいては「ロダンはいかにして彫刻の革命家となり得たのか」という本稿の問題意識を形成した。


第1章 ロダンはなぜ衣服像の前に裸体像を制作したのか―「カレーの市民」ジャン・デール像の分析を通して―

ロダンは人物彫刻を制作する際、実際には衣服をまとう歴史的主題であっても、必ず裸体像を先に完成させ、そこから衣服を加えるという独自の制作方法を貫いた。この方法は、古代彫刻以来の伝統的手法の延長にあるものの、ロダンはそれを「精神の真実」を捉えるための必須工程へと深化させ、近代彫刻に新たな原理をもたらした点に独自性がある。本稿では、その理由と芸術的意義を、「カレーの市民」におけるジャン・デールの裸体像を具体例として検討する。


「カレーの市民」は十四世紀、百年戦争下でカレー市を救うため六人の市民が自らの命を差し出す決断をした史実に基づく作品である。本来この主題は、粗衣をまとい縄を首にかけた歴史的姿に依拠するべきように思われる。しかしロダンは、歴史的衣服の再現ではなく、人物の精神が肉体にどう現れるかを重視し、まず裸体像で造形した。旭川彫刻美術館に収蔵されるジャン・デールの裸体像は、この制作原理をもっとも端的に示す存在である。


ジャン・デールは六人の中で、深い恐怖の中にありながら、責任と誇りをもって死と対峙する人物として造形されている。裸体像を観察すると、彼は明確に正面を見据え、視線を逸らすことがない。唇は真一文字に結ばれ、恐怖や苦悩を外側に漏らすのではなく、内側へ押し込めるように硬く結ばれている。その表情は、死の到来を自覚しながら、それを受け止める覚悟を示している。これは衣服をまとった状態では隠れてしまう精神の核心であり、裸体像が人物の本質に迫ることを示す一例である。


また、ジャン・デール像の最も重要な特徴は、胸の前で握りしめた「鍵」に象徴される指先の緊張である。本来この鍵は衣服像においてより明確に造形されるが、裸体像の段階でも、両手が強く固く結ばれ、指先に力が宿っていることが見て取れる。この握りしめられた手は、恐怖に負けまいとする意志の表現であり、彼が市民を代表して責任を担っていることを示す象徴的ジェスチャーでもある。指先の緊張は、ロダンが最も重視した「内面が外形へ滲み出る瞬間」であり、この微細な緊張は裸体像でなければ表現し得ない。


身体全体の姿勢も、精神状態の反映として重要である。肩は大きく開かれず、わずかに前方に落ちるように沈み込んでいるが、これは単なる萎縮ではなく、重い決断を受け止めるための「身体の重心の集約」である。胸郭は大きく張られず、呼吸は深い息を整えるように制御されている。腰や脚の筋肉は緊張し、足裏には静かながら確かな踏み込みが感じられる。これらの動勢は、恐怖に押しつぶされるのではなく、恐怖と対峙する精神の均衡を身体が保っている状態である。ロダンの裸体像は、精神の動きが肉体にどのように反映されるかを追い求めた結果であり、その正確性は衣服の下では決して見取ることのできないものである。


この裸体像が示す精神性は、衣服を加えることでさらに強調されるが、衣服像は裸体像に基づいて初めて成立する。ロダンは衣服を「感情の延長」として扱い、身体の動勢が正確に造形されているからこそ、衣服の皺や重みが心理を語る。ジャン・デールの場合、胸の前で固く握られた手の位置、腕の角度、肩の沈みは、衣服像において布の緊張や垂れ具合として可視化され、彼の内的苦悩と誇りを視覚的に際立たせることになる。この関係性こそ、裸体像の先行が不可欠である理由である。


さらに、裸体像で構造を決定することは、群像全体の統一感を生むために不可欠である。「カレーの市民」は六人が異なる方向に歩み、異なる感情を抱きながらも、一つの塊として造形的統一を成す必要がある。裸体段階で重心の高さや量塊の関係が精密に調整されることで、各人物は独自の心理を保ちながらも、全体として統一されたリズムを形成する。衣服を先に作る方法では、このような構造の調整は不可能であった。


以上の分析から、ロダンが衣服像の前に裸体像を制作した理由は明確である。裸体は精神が肉体に宿る瞬間を捉えるための出発点であり、衣服はその肉体が生み出す感情の延長である。ジャン・デールの裸体像は、恐怖に耐え、責任を引き受け、死と対峙する人間の精神の強度を、衣服に邪魔されずにむき出しに提示する。この方法こそ、ロダンが「生命を彫る」ために不可欠な手順であった。


ゆえに、裸体像の先行制作はロダンにとって単なる技術ではなく、人間の本質に迫るための芸術的必然であった。その最も力強い証拠が、「カレーの市民」ジャン・デールの裸体像に刻み込まれた精神の緊張と尊厳である。裸体像は、衣服像よりも強い「人間の真実」を語っているのである。


第2章 ロダンを理解するための鍵 ― マージナルマンという視点

ロダンの革新性を理解する重要な枠組みのひとつが「マージナルマン」(周縁的人物)である。社会学者パークの用語で、これは複数の文化や階層の境界に立ち、どこにも完全には属さない人間を指す。
1.境界に立つ者の特性
マージナルマンは、中心的価値観に同化していないため、
●既存制度への批判的視線
●新しい価値の創造への感受性
●傍観者としての相対化能力

を持つとされる。この周縁性は、時に孤独を伴うが、創造性の源泉ともなる。


2.ロダンの周縁的境遇
ロダンはエコール・デ・ボザールに三度不合格となり、伝統的芸術制度の中心に入れなかった。一方で、労働者階級出身である彼は上流階級の文化にも馴染まず、社会階層の境界に立っていた。その結果、ロダンはアカデミズムの理想美に従う必然を持たず、自身の実感と観察にもとづいて彫刻を再構築する立場に立った。
ロダンの革新の根底には、まさにこの“境界から世界を見る視点”がある。


第3章 市民社会の勃興と人間像の転換会構造の転換 

 
19世紀フランスは革命と政権交代が続く不安定な時代であった。貴族中心の秩序が崩れ、市民階級(ブルジョワジー)が社会の主体へと台頭した。


1.英雄像から「市民の身体」へ
従来の彫刻が表現してきたのは神話や英雄の理想美であった。しかし市民社会の時代には、
●苦悩
●労働
●不安
●決断

といった実在の人間の感情が芸術のテーマとして浮上した。


2.《カレーの市民》に示された近代的人間像
ロダンはこの価値転換を敏感に捉えた。「カレーの市民」は、死刑を覚悟して歩む六人の姿を、英雄的美ではなく、人間の生々しい苦悩として刻んだ。市民一人ひとりの心理が身体の緊張として可視化され、古典的英雄像は完全に超えられた。
ロダンは、近代人の内的苦悩を世界に示した最初の彫刻家である。。


第4章 写真技術の登場 ― 脅威と可能性、そして戦略


19世紀半ばに写真が発明されると、芸術は根本的な問いに直面した。「写真が外形を正確に写し取れるなら、美術は何を表すべきか。」
ロダンは、この問いに対し二つの方向から応答した。


1.写真は写実の役割を奪う“脅威”であった
写真は、人物の外形や光の効果を完璧に写し取るため、従来の彫刻の役割(外形の忠実な再現)を無効化した。ロダンはその結果、写実競争から距離を置き、人間の“内的な動き”を身体で表現する方向へ舵を切った。
●心理の緊張
●葛藤の重さ
●動作の途中の不安定性
●時間の流れを含んだ身体
これらは写真には写らない領域であり、ロダンはここを彫刻の核心とした。


2.ロダンは写真を「積極的に利用」した最初の彫刻家であった
ロダンは写真の脅威を理解しつつも、同時にその力を巧みに利用した。彼は多くの写真家をアトリエに招き、作品の写真・制作途中の記録を撮影させ、それを国内外の展覧会・新聞・雑誌の批評家に提供した。これは近代的な意味での“自己プロデュース”である。


特に Eugène Druet や Pierre Choumoff の撮影した写真は、ロダンの作品の陰影や量感を強調し、彫刻の魅力を拡大する効果を持っていた。
ロダンはこうした写真を戦略的に活用し、国際的名声を確立するメディアとして積極的に利用したのである。


3.小結:写真はロダンにとって「脅威」であり「武器」であった
●写実の終焉を告げる 技術革命としての写真
●自身の名声を世界に広める 宣伝媒体としての写真
この二重の作用によって、ロダンは写真と対立するのではなく、写真を利用して新しい彫刻表現を切り開くことに成功した。


第5章 印象派の視覚革命 ― ロダンとの同時代性


モネやルノワールに代表される印象派は、光と空気の変化によって形が揺らぐ瞬間を捉え、輪郭線の絶対性を否定した。


1.印象派の思想――形より「瞬間」を見る試み
印象派の革命とは、「対象の本質は固定形ではなく、体験の中で揺らぎ続ける」という視覚思想の転換である。


2.ロダンの彫刻と印象派の共鳴
ロダンもまた、形の固定を拒否し、
●動き出す瞬間
●身体の緊張
●心理の芽生え

といった「生成する形」を彫刻化した。
印象派が光の揺らぎを表したのに対し、ロダンは「身体の揺らぎ」を形にしたと言える。


第6章 造形技法の革命 ― 不安定・断片・手跡・反復

ロダンの技法は、従来のアカデミズム彫刻を根底から覆した。
1.不安定の美学
動きの途中にある身体を造形し、「均衡こそ美」という伝統を破壊した。
2.身体の断片化
身体の部分(トルソ、腕など)を独立した美として提示し、完全な身体という価値観を否定した。
3.マチエール(手跡)の露出
表面を磨き上げず、粘土の手跡を残すことで、“制作の痕跡”そのものを意味へと転換した。
4.形の反復(Variation)
同一モチーフを文脈や角度を変えて使い回すことにより、「形は固定されず、生成し続ける」という思想を明示した。
これらは単なる技術改革ではなく、彫刻とは何かという定義の再構築であった。


第7章 境界に立つ者の美学 ― ロダンの本質的独自性

ロダンの作品に共通するのは、「境界に立つ人間」の姿である。
●完成と未完
●静と動
●内面と身体
伝統と革新これら二つの極の“あいだ”に存在する緊張こそ、ロダンの世界である。
旭川で見た《シャン・デールの裸体習作》は、その象徴である。完成形では表れない、心の震えが身体に直接刻まれたこの像は、ロダンが“生成する形”にこそ真実を見ていたことを示している。
ロダンの独自性とは、形が固定される前の揺らぎに人間の本質を見出した点にある。


終章 なぜロダンは「革命家」となり得たのか


ロダンが彫刻の革命家となり得た理由は次の三点に要約される。
1.周縁に立つ者としての視線(マージナルマン性)
制度の中心から排除され、階級的にも境界に立つことで、中心の価値観を相対化する視野を得た。
2.19世紀末という時代の変動との鋭い共感
市民社会の勃興、写真技術、印象派の視覚革命――こうした時代精神を敏感に読み取り、彫刻の役割を刷新した。
3.技法と思想の根本的転
不安定、断片、手跡、反復といった革新により、「彫刻とは何をつくるのか」を根本から書き換えた。


結語


ロダンは境界者(マージナルマン)として、中心の価値観に従わない独自の視点を持ち、その視線が19世紀末という激動の時代と結びついた結果、彫刻を根底から刷新した。彼は写真の脅威を見抜きつつ、それを宣伝戦略として活用し、印象派の視覚革命と呼応しながら、彫刻に「時間」と「心理」を導入した。


私は、ロダンの革新の本質を


周縁性 × 時代精神 × 技法的思索


の交点に求めたい。ロダンは、中心にいなかったからこそ、中心を変えることができたのである。