
English Summary
More than twenty years ago, I first encountered the sculptures of Yasutake Funakoshi during a visit to the Iwate Museum of Art, where I had gone to see Shunsuke Matsumoto's Standing Figure. Deeply moved by the painting's quiet determination, I unexpectedly entered the neighboring sculpture gallery and discovered Funakoshi's Father Damien. The rough bronze surface radiated an intense yet silent spiritual presence, prompting profound questions about both the subject and the sculptor's intention.
Nearby stood Hara Castle, a samurai figure whose slightly open mouth and distant gaze conveyed a ghostly silence and the lingering weight of history. In striking contrast, a serene portrait of a young woman embodied purity, dignity, and a sense of prayer. The coexistence of suffering and serenity, anguish and holiness, revealed an extraordinary artistic vision. At that moment, I became captivated by Funakoshi's ability to unite these opposing qualities within a single body of work, marking the beginning of my lifelong journey of exploring his sculpture.
今から二十年以上前、私は舟越保武の作品に出会った。きっかけは、岩手県立美術館で松本竣介の「立てる像」が展示されていると聞いたことだった。
休日を利用して訪れたその日、私は竣介の絵の前に立ち尽くした。「立てる像」の人物は、未来をまっすぐに見据え、静かに自らの道を見定めようとしていた。その姿に、私は言葉では言い表せないほどの決意と孤独の美しさを感じた。
展示室を出ようとしたとき、ふと隣の部屋に目をやると、そこに彫刻作品の展示室があった。何気なく足を踏み入れたその瞬間、私は思いもよらぬ世界と出会うことになる。そこには、舟越保武の「ダミアン神父」があった。

舟越保武 ダミアン神父 1975年作
なんという姿なのだろう。この方は――。粗く刻まれたブロンズの表面から、静かな炎のようなものが立ちのぼっていた。その瞬間、私の心は驚きに満たされ、身体が動かなくなった。「ダミアン神父」とはどんな人なのだろう。なぜ、船越はこのような姿を彫ったのか。問いが胸の奥で次々と生まれ、私はその場から離れられなかった。

舟越保武 原の城1971作
その近くには、「原の城」という侍の像があった。口をわずかに開き、どこか遠くを見つめるその姿は、まるで亡霊のようだった。沈黙の中で何かを語りかけてくるような気配があり、私は背筋が凍るような感覚を覚えた。この二つの作品に出会ったとき、私の心は動揺と疑問でいっぱいになった。
ふと後ろを振り向くと、そこに若い女性の顔があった。その表情は驚くほど穏やかで、清らかだった。「なんと聖なる気配なのだろう」――私は思わず息をのんだ。「ダミアン神父」や「原の城」の激しい苦悩とは対照的に、その女性の顔には、祈りにも似た静けさと気品が宿っていた。私は言葉を失い、ただその前に立ち尽くした。

舟越保武 聖クララ 1956年作
この彫刻家は何という人なのだろう。激しさと静けさ、苦悩と聖性―その両極をひとつの手で形にする、その心とはいかなるものなのか。私の「舟越保武の彫刻との旅」は、このとき、静かに始まった。
2026年6月28日更新