柳原義達の晩年 ― 統合の彫刻としての「未来への希望と確信」 Yoshitatsu Yanagihara's Late Works: "Hope and Conviction for the Future" as the Sculpture of Integration

English Summary

The late sculptures of Yoshitatsu Yanagihara embody a quiet confidence that emerged after decades of artistic and spiritual struggle. While his early works sought to discover life through form, his mature sculptures transcend form itself, expressing life as a state of being. This represents the final stage of Ri in the Japanese concept of Shu–Ha–Ri, where technical mastery gives way to spiritual freedom.

This artistic maturity closely parallels Erik Erikson's concept of ego integrity, the final stage of psychological development. Rather than dwelling on suffering or regret, Yanagihara's late works embrace the whole of human life and transform it into hope for the future.

Yanagihara began by studying Rodin and Bourdelle, but his encounter with Giacometti led him beyond representation toward the sculpting of existence itself. Instead of reproducing external appearances, he sought to reveal the invisible breath of life. Sculpture became not an object but an act of living.

This transformation is embodied in Song of the Dog (1981). Unlike his earlier inward-looking figures, the sculpture extends one hand outward as if inviting the future. The inscription, "Reflect on yesterday, work for today, and live for tomorrow's possibilities," expresses Yanagihara's lifelong philosophy. The work symbolizes a life that accepts the past while moving confidently toward the future.

An even more complete expression appears in Sukoyaka (Healthy), created as a memorial following the Great Hanshin-Awaji Earthquake. With raised arms and a serene face, the figure no longer conveys suffering but acceptance, gratitude, and hope. The prayer that once remained inward has become a quiet blessing offered to others.

In these late works, Yanagihara transforms rebellion into acceptance and silence into confidence. His sculptures no longer seek to persuade or explain; they simply affirm the dignity of existence itself. The "silent dignity of life" that characterized his earlier work evolves into a luminous affirmation of hope, trust, and gratitude.

Yanagihara's final achievement is therefore not merely artistic but existential. His sculptures unite his life, philosophy, and creative practice into a single vision, offering viewers the courage to embrace tomorrow's possibilities. They stand as monuments to human growth, demonstrating that sculpture can become a quiet expression of psychological integration and enduring hope.


柳原義達の晩年の作品には、若き日の激しい格闘を越えた穏やかな確信が宿っている。そこには、長い時間をかけて彫り進められた人間存在の核心があり、生命への祈りが静かな光として形に結晶している。若き日の柳原は、形を通して生命を探る彫刻家であった。しかし晩年に至ると、形を超えて生命そのものを語る彫刻家へと変貌している。その変化こそが、柳原芸術の到達点、すなわち「離」の境地である。


エリクソンの心理発達段階論によれば、人間の成長の最終段階である老年期には、「統合性」と「絶望」という二つの方向性がある。自らの人生を受け入れ、過去の経験を統合して肯定できたとき、人は静かな平安に至る。それが「統合性」であり、柳原の晩年の作品にはまさにその精神が具現化している。彼の作品はもはや苦悩や孤独の象徴ではなく、人間の生のすべてを受け入れた上で、未来を信じる確信へと変わっている。


柳原は、東京美術学校でロダンやブールデルの系譜に学び、若いころは具象表現の中で「生きた形」を追い求めた。しかし彼にとって模倣は出発点に過ぎなかった。フランス留学でジャコメッティに出会い、「形を写すこと」ではなく「存在を刻むこと」へと視点を転じた。人間の外形を超え、その内奥にある「生命の呼吸」や「存在の震え」を捉えようとしたのである。この時期、彼は形式的な美から離れ、彫刻を「生きる行為」そのものとして捉えるようになった。それは、師の型を「守り」、それを「破り」、ついに自らの道を見出す「離」の精神に通じている。


この「離」の境地を象徴するのが、神戸ポートアイランドに設置された《犬の唄》(1981年)である。右手を前に差し出す人間像は、内面の祈りから外界への呼びかけへと転じ、未来を見据える姿となっている。かつての《道標・鳩》の人物が、見上げる祈りの姿勢で「内なる生命」を感じさせたのに対し、《犬の唄》は明らかに外に向かって開かれている。そこには、孤独の中にあっても未来を信じる強さ、そして「今を生きる人間」への深い共感が込められている。


銘板に刻まれた

今日の仕事をするために

昨日を反省し

明日の可能性を生きる

という言葉は、柳原の人生哲学そのものである。若き日の彼が追い求めた「形の完成」ではなく、「生きることそのものを形にする」という思想がここに明確に表れている。「明日の可能性を生きる」とは、未来を恐れず、過去を悔やまず、今を誠実に生きることへの誓いである。つまり、この作品は人間の成長の最終段階である「統合性の確立」の姿をそのまま形にしたものである。


柳原は、老いを「終わり」ではなく、「成熟した創造の時期」として受け止めた。彼にとって老年とは、身体の衰えや死への不安に直面する時期でありながら、同時に人生全体を俯瞰し、過去の苦難と向き合い、受け入れる時期でもあった。エリクソンのいう「統合性」は、まさに柳原が晩年に到達した心の平安と一致する。彼の彫刻は、人生の光と影をすべて抱え込みながら、それを一つの形にまとめ上げることで、存在の肯定を語っている。

その到達点をさらに象徴的に示すのが、2000年に建立された神戸市東灘区の震災復興記念碑《すこやか》である。阪神・淡路大震災からの復興の記憶を刻むこの作品は、両手を頭上に掲げ、穏やかな顔で未来を見つめる人物像である。

かつて《風の中の鳥》で示された「内なる祈り」は、ここでは確信と祝福のかたちへと昇華している。両手を高く掲げたその姿は、苦難を越えた人間の希望を象徴し、見る者に静かな勇気を与える。そこに表れた表情は、悲しみではなく、受容と平穏の表情である。柳原はこの作品において、過去の痛みを抱えつつも、それを未来への糧に変える人間の力を形にしている。


《すこやか》の顔は実にすがすがしい。そこには、自己を受け入れた人間だけがもつ透明な静けさがある。死を恐れず、人生を肯定し、すべての出来事を「生きることの証」として抱きしめる心――それが柳原の晩年の境地である。彼の彫刻は、もはや他者に訴えかける表現ではなく、存在そのものの静かな宣言となっている。彼は「生きるとは何か」という問いを長年にわたって彫り続け、その答えを晩年の作品に託したのである。


柳原の晩年には、苦悩や孤独が溶解し、穏やかな確信へと変わっている。若き日の彼を支えた「反骨の精神」は、今や「受容の精神」へと昇華し、生命の流れそのものを肯定している。その静けさは決して消極的な平和ではなく、激しい葛藤をくぐり抜けた末に得た能動的な安らぎである。まさにエリクソンが言う「統合性」とは、柳原の晩年の作品において、造形として具現化した心理的成熟の姿なのである。


彼が生涯を通して求めた「沈黙の中の生命の尊厳」は、晩年に至って「沈黙の祈り」から「確信の光」へと転じた。彫刻という物質的な制約の中で、柳原は人間存在の最も精神的な部分――すなわち、希望・信頼・感謝――を表現することに成功している。その形は、もはや現世的な勝利や成功を語るものではなく、人生を丸ごと受け入れた者だけが発する「安らぎの光」である。


晩年の柳原義達は、自らの人生と作品を一つに統合した芸術家であった。彼の作品は、死に直面しながらも「生きる可能性」を信じる人間の姿を讃え、過去と未来を結ぶ橋となっている。《犬の唄》や《すこやか》に表された「未来への希望と確信」は、単なる個人の到達点ではなく、人間全体の成長の象徴である。

柳原はその生涯を通じて、「彫刻とは人間そのものの成長である」ことを体現した。彼の作品は、見る者に「明日の可能性を生きる勇気」を静かに手渡す、統合の monument なのである。

2026年6月27日更新