
Rodin’s Method of Seeing: A Practical Approach for ViewersAuguste Rodin believed that the essence of art lies in “seeing.” However, for Rodin, seeing was not simply looking at outward appearances. It meant understanding the inner necessity of life that gives rise to form. He sought to read three fundamental dimensions within sculpture:
direction (planes), weight (mass), and time (movement).Rodin argued that emotions and psychological states inevitably shape the body. Fear alters a gaze, determination shifts the center of gravity, and anger concentrates force within the body. Therefore, sculpture should not be understood as a collection of forms, but as the visible result of invisible inner forces.To appreciate Rodin’s sculptures, viewers must actively engage with the work through questioning rather than passive observation. Rodin’s method can be approached through three stages:
Through a continuous process of observation, imagination, and re-observation, the sculpture gradually emerges not as a static object but as a living presence carrying an inner sense of time.This approach is exemplified by Rodin’s studies of Jean de Fiennes and Jean d’Aire from The Burghers of Calais. Jean de Fiennes embodies a divided and wavering spirit, caught between advancing and retreating.
Jean d’Aire, by contrast, represents a spirit of endurance, containing anger and suffering within a restrained and resolute posture.Ultimately, Rodin’s method transforms art appreciation from the act of looking at an object into the act of understanding a state of life. When viewers engage with sculpture through the lenses of direction, weight, and time, the work begins to speak as a living expression of human experience.
序論
オーギュスト・ロダンは、芸術の唯一の原則は「見る」ことであると語った。しかしロダンにとって「見る」とは、形を外側から眺めることではない。それは、対象の内部に潜む 方向(面)・重さ(量)・時間(動勢) という三つの力学を読み取り、形が「なぜその形になるのか」という生命の必然性を理解する行為である。
ロダンは、表面的な美ではなく、形の背後にある「原因」を読み取ることを求めた。本稿では、その理論的枠組みを整理した後、「ジャン・ド・フェンヌ」と「ジャン・デール」を素材に、ロダンの視点がどのように像を読み解くかを示す。さらに、一般鑑賞者がこの「見る」を実践できるよう、鑑賞時に自らへ投げかける質問(セルフ・ファシリテーション)を提示する。
また、ロダンにとって形は偶然の結果ではない。恐怖があるから視線は逸れ、覚悟があるから重心は沈み、怒りがあるから拳に量が凝縮する。
生命の必然性とは、「内的な感情と力が、外部の形態を必然的に生み出した状態」を指す。
ロダンの「見る」とは、形そのものではなく、形を生み出した内的原因(生命)を理解する行為なのである。

ジャン・ド・フェンヌの裸体習作(神戸市立博物館)
1.なぜロダンの彫刻は「見方」が必要なのか
オーギュスト・ロダンの彫刻は、ただ形を眺めるだけでは、その本質がつかみにくい作品である。それは、ロダンの彫刻が「きれいな形」や「分かりやすい物語」を示すために作られていないからだ。
ロダンが彫ろうとしたのは、人間の身体を通して現れる精神の状態である。そのため、鑑賞者が受け身のまま立っていると、「よく分からない像」に見えてしまう。
ロダンの彫刻を見るためには、鑑賞者自身が問いを持ちながら見る必要がある。問いは、正解を出すためのものではない。像と向き合い、時間を過ごすための入口である。
2.ロダンの「三つの視点」
ロダンは、彫刻を見るときに次の三つの点を重視した。
●面:身体や精神が、どの方向を向いているか
●量:身体や心の重さが、どこに集まっているか
●時間(動勢):形の中に、どんな時間が流れているか
この三つは別々のものではない。順に見ていくことで、彫刻の中にある生命が少しずつ立ち上がってくる。
3.「面」で見る ― まず全体の向きを感じる
最初に見るべきなのは細部ではない。像全体が、どちらを向いているかである。
次の問いを自分に投げかけてみる。
●この像は、どの方向へ向かおうとしているか
●どこが開き、どこが閉じているか
●前へ進もうとする気配と、引き戻される気配は同時にないか
ここでは、正確に説明しようとしなくてよい。「こちらへ向かってくる」「内側に閉じている」といった、素直な感覚で十分である。
この段階は、彫刻と自分との関係を確かめる時間である。
4.「量」で見る ― 重さと心のありかを感じ取る
次に、像の重さに注目する。
●どの部分に重さが沈んでいるか
●身体のどこに力がたまっているか
●心の重心は、どこにありそうか
ロダンの彫刻では、重さは単なる体重ではない。心の重さでもある。さらに、目に見えない部分を想像してみる。
●見えていない骨や筋肉は、どう働いていそうか
●この人物は、どんな気持ちを抱えているか
●穏やかなのか、怒りを内にためているのか
ここで、像は単なる形ではなく、性格をもった存在として感じられ始める。
5.「時間」で見る ― 動きではなく、流れを読む
最後に、形の中にある時間を考える。
●この姿勢の前には、どんな動きがあったか
●次の瞬間、動こうとするのか、それとも動かないのか
●なぜ、この形で止まっているのか
重要なのは、実際に動くかどうかではない。動こうとする気配や、動かずに耐える時間を感じ取ることである。
ロダンの彫刻が生きて見えるのは、一つの瞬間の中に、過去と未来が同時に含まれているからだ。
6.鑑賞は「行き来する」ことで深まる
鑑賞は一方向では進まない。
●面を見る
●量を見る
●時間を見る
そして、もう一度、全体に戻る。
この観察 → 想像 → 再観察という行き来によって、彫刻は静止した物体ではなく、内的な時間を生きる存在として立ち上がる。
7.結論 ― ロダンの「見る」とは何か
ロダンの「見る」とは、形を説明することではない。
その形が生まれた必然性を感じ取ることである。
たとえば、「ジャン・ド・フィエンヌ」では、前へ進もうとする意志と、引き戻される迷いが同時に存在する。「ジャン・デール」では、怒りを外に出さず、内に封じたまま耐える精神が造形されている。
ロダンの方法は、鑑賞を「物を見る行為」から「生命の状態を理解しようとする行為」へと変える。
鑑賞者が問いを持ち、面・量・時間の三つの視点で像と向き合うとき、彫刻は沈黙した物体ではなく、人間の内側の時間を刻む存在として、静かに語り始めるのである。

二像の比較にみるロダン造形の本質観点

つまり、
● フェンヌ は「揺れる精神」の像、
● ジャン・デール は 「耐える精神」の像である。
これがロダン彫刻の心理の複層性である。
2026年6月25日更新